
わかっていたのに、考えていなかった
ブログコンセプトが大事だということは分かっていた。
それでも私は、考える代わりに「教えてもらう」ことを待っていた。
無意識の私は、「マーケティングの神様」から、ブログのコンセプトを教えてほしいと思っていた。
本当は、ブログコンセプトは自分の強みと、読者が求めているものが重なる場所を、自分で探す作業なのに。
私は、自分の強みも分からず、読者が何を求めているのかも、まだ掴めていなかった。
神の啓示を求めていた行動
昨日、
「分かっていたのに1年間やらなかった。私がブログコンセプトから逃げ続けた本当の理由」
という記事を公開した。
すると不思議なことに、「この試行錯誤の記録を、誰かに読んでほしい」という気持ちが湧き上がってきた。
普段はしないのに、
「#森岡毅」「#◯◯出版社」
といったハッシュタグを付け、編集部や出版社宛にブログ更新のお知らせを投稿した。
そのときの私は、「うまく書けたから、ただ届けたい」つもりだった。
一晩経って気づいた、本当の望み
でも一晩経って、気づいた。
あの行動の深層心理は、
「出版社を通じて森岡さんにブログを見つけてもらい、
自分の進むべきブログコンセプトの答えを教えてもらいたい」
というものだった。
私は、
ブログコンセプトの重要性を理解した「つもり」で、無意識に、神の啓示を求めていた。
手を動かさずに、誰かから答えをもらおうとしても、意味がない。
マーケティングの神様が思考の補助線を引いてくれたとしても、
ブログコンセプトは、自分で考え、掘り下げて作らなければ、
それは自分の力にはならないのだと思った。
また逃げていた自分
ブログを成功させるには、コンセプト設計が重要だということは、私はもう分かっていたはずだった。
それなのに、強い専門家から答えをもらおうとして、考えることから逃げていた自分が、またいた。
自分のブログは、自分でコンセプトを掘り下げなければならない。
誰かの正解を待つのではなく、自分で考え、動く必要がある。
その当たり前のことを、私は何度も、自分に言い聞かせなければならない。
時代と、私の立ち位置
時代の主流は、もうブログではない。
ユーザー数で見れば、YouTubeやインスタのほうが圧倒的に多い。
それでも私は、ブログが好きだ。
私は、ブログ文化が好きでたまらない、
いわば「ブログ狂人」だ。
だからこそ、一般の人がブログに何を求めているのか、正直、よく分からなくなっている部分もある。
それでも、ブログを通じて叶えたいことがある。
ブログを辞めるのは簡単だ。
でも、それは同時に、夢を手放すことでもある。
涙の奥に残っていたもの
先日、ブログ運営を振り返り、まったく成果が出ていない現実に気づいたとき、
なぜか涙が止まらなくなった。
悲しいわけではなかった。
例えるなら、ホルモンに乗っ取られたように、勝手に涙が流れる感覚。
この感覚を、私は知っている。
第一子を出産した日の夜と、同じだった。
正直に言うと、まだコンセプトに真正面から向き合う勇気はない。
なぜ私は、ここまでコンセプトから逃げてきたのか。
今は、そこに立ち止まっている。
それでも、もし強いブログコンセプトが作れたなら、
「値札を見ずに買い物ができたあの頃」を取り戻す夢に、確実に近づける。
だから私は、まだブログを手放せない。
まだ答えは出ていない
ブログコンセプトの答えは、まだ出ていない。
でも、ひとつだけはっきりしたことがある。
私はもう、
「誰かに正解を教えてもらう側」ではない。
これからは、自分でコンセプトを掘り出していく。
たとえ時間がかかっても、自分の手で。