
私は、せっかく書くなら、やっぱり誰かに読んでもらいたい。
2年半、日記のように文章を書き続けてきたけれど、ほとんど誰にも読まれていなかった。
その事実に気づいてから、私は文章をアップするのが少し怖くなった。
どうせ誰にも届かないだろうと思いながら、また公開ボタンを押すことが怖い。
誰にも読まれないのだから、本当は恥ずかしくなんてないはずなのに。
それでも怖いのは、誰にも読まれないという現実が、
「自分に価値があるのか」という問いを突きつけてくるからだと思う。
誰にも読まれない文章を書き続けていると、
「自分の時間を削って、私はいったい何をしているんだろう」、そんな無力感に襲われることがある。
だから最近、「発信のコンセプト」をずっと考えている。
「たくさんの人に読んでもらえる文章」を書くために。
コンセプトは、設計しないと届かない
文章メディアは残酷で、2年半続けているからといって、みんなと同じことを同じようにやっていても、ほとんど気づいてもらえなかった。
でも、誰にも届かない文章を書くのは、もうやめたい。
せっかく続けるなら、誰に向けて、何を聞いてもらう場所なのか。
文章のコンセプトを決めてから、書き出さないといけない。
「たくさんの人に読んでもらえる文章」にするには、ただ書くだけでは、足りなかった。
売りたいものから考えていた私
私の大好きなUSJを再建された、大尊敬している森岡毅さんの本を読んでいたとき、こんな言葉に出会った。
「自分が売りたいモノから考え、考えやすいプロダクトから発想する『HOW思考』は、
自覚なき素人的な、極めて“独善的”発想です。
“確率の神様”は、失敗という罰を与えてきます。」
確率思考の戦略論 どうすれば売上は増えるのか
森岡毅
読んだ瞬間、私はずっと逆をしていたことに気づく。
「何を書きたいか」
「何なら書けるか」
「何をやりたいか」
「自分は何を持っているか」
それしか考えていなかった。
本当は、
①誰を幸福にするのか(WHO)
②何を解決して幸福にするのか(WHAT)
この順番で考えるのが先で、
③どうやって届けるか(HOW)は、そのあとだった。
以前つくった、
PVがほぼゼロのまま推移したブログたちは、
「誰を幸福にするのか?」から出発していなかった。
読書が好きだから、読んだ本のブログをつくったり、
経済力がないから、日記のような文章を書いたりしていた、
振り返ってみると、
自分の都合だけで書いた文章だった。
だから私は、確率の神様から「失敗」という結果を受け取ったのだと思った。
今、ここで気づけてよかった。
じゃあ私は、誰を幸せにしたいんだろう
改めて考えてみる。
私は、誰を幸福にする文章を書けばいいんだろう。
何の実績も、肩書きもない人を勇気づけたいのか。
それとも、内心では起業を考えている主婦の記録を読みたい人なのか。
浮かんできたのは「今の自分自身」
「誰を幸福にするか?」と考えて、浮かんできたのは、今の自分自身だった。
自分には何もないと思っている
何か始めたい気持ちはある
でも、何を信じていいかわからない
行動したいのに、怖くて止まっている
成功者の話を読むと、前向きになるよりも、自分が無価値な人間のように思えて、
苦しくなってしまう。
それが今の私です。
この文章が持っている役割
今の私は、何かを成し遂げた人でも、誰かに教えられる立場でもない。
それでも、「時間や場所にとらわれず、稼ぎたい」という夢があるから、やめずに、迷いながら、立ち止まりながら、ここに言葉を置いている。
成功談も、ノウハウもない。
ただ、
「何も持っていないまま考えていること」
「途中のままで、言葉に出すこと」
そういう意味をもつ文章。
まだ答えは出ていないけれど
私が、誰を幸せにしたら「たくさんの人に読んでもらえる文章」になるのか。
その答えは、まだ全然わからない。
でも、売りたいものから考えていた、失敗確率100%の自分に気づけたこと。
それだけでも、一歩前に進んだ気がしている。
私の今の能力では、発信のコンセプトは、決めてから書けない。
書きながら、迷いながら、あとから、ぼや〜っとにじむように浮かび上がってくるものなのかもしれない。